三菱一号館美術館 〒100-0005 東京都千代田区丸の内 2-6-2 |
三菱一号館美術館《グラン・ブーケ(大きな花束)》収蔵記念 |
岐阜県美術館所蔵 ルドンとその周辺―夢見る世紀末 |
Rêves de fin-de-siècle Odilon Redon et ses amis dans la collection du Musée des Beaux-Arts de Gifu |
本展は、世界有数のルドン・コレクションを誇る岐阜県美術館の所蔵品により、ルドンの幻想世界を概観します。 ルドンに影響を与えたモローやブレスダン、ファンタン=ラトゥールやゴーギャンなどの同時代人、あるいはルドンの影響を受けたドニをはじめとするナビ派など、ルドンに先駆け、後を受け継いだ画家たちを併せて概観することで、ルドンが切り開いた象徴主義の世界の広がりと奥行きを辿ります。 また、本展覧会の開催に合わせ、三菱一号館美術館が新規収蔵した 《グラン・ブーケ(大きな花束)》 を公開いたします。ルドンが描いた最大級のパステル画でありながら、110年間フランスの城館に秘蔵されていた作品の本邦初公開となります。 |
会期: 2012 1/17(火)〜3/4(日) 展覧会は終了しました。 開館時間:水・木・金 10:00―20:00 / 火・土・日・祝 10:00―18:00 ※入館は閉館30分前まで 休館日:月曜日 ※2月27日(月)は開館 会場:三菱一号館美術館 |
オディロン・ルドン 《グラン・ブーケ(大きな花束)》 三菱一号館美術館 新規収蔵“幻の花束” |
日本初公開 フランス:ドムシー男爵の城館から ルドン作品史上最大級のパステル画 |
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【展覧会の構成】 |
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本展は、第一部 ルドンの黒、第二部 色彩のルドン、第三部 ルドンの周辺―象徴主義の画家たち、の三部構成になっています。 岐阜県美術館所蔵の、世界に誇るコレクションの中から140点を精選し、世紀末の近代社会における象徴主義の詩人や画家たちとの影響やルドンの幻想世界を概観します。 また、三菱一号館美術館が新規収蔵した 《グラン・ブーケ(大きな花束)》 は、ロベール・ド・ドムシー男爵(1840-1916)の城館を飾った16点の壁画の内の1点です。完成より約110年間の時を経て、2011年3月にパリで初めて一般公開され、大きな反響を巻き起こしたこの作品は、我が国での初公開となります。 |
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第一部 ルドンの黒 ―1880年代前半、パリに出現したルドンの「黒」の世界は、象徴主義の若い芸術家たちを魅了する― ルドンはパリの国立美術学校の建築科を受験し失敗します。ボルドーに帰ったルドンはロマン主義の作家たちから高く評価された版画家ロドルフ・ブレスダンからエッチングを中心とする銅版画の技法を学びました。後にルドンは、木炭画や版画の白黒作品を、愛着を込めて 「わたしの黒」 と呼ぶようになります。 オディロン・ルドン 《[.幻 視》 (『夢のなかで』) 1879年 リトグラフ、紙 27.4 x 19.8cm 岐阜県美術館蔵 《\.悲しき上昇》 (『夢のなかで』) 1879年 リトグラフ、紙 26.7 x 20.0cm 岐阜県美術館 《T.眼は奇妙な気球のように無限に向かう》 (『エドガー・ポーに』) 1882年 リトグラフ、紙 26.2 x 19.8cm 岐阜県美術館蔵 |
第二部 色彩のルドン ―妖しいまでに美しい花々、装飾芸術は癒しを求める都会人たちに熱狂的に受け入れられた― 色彩への移行、1894年最初の大個展を開いたとき、140点のうち油彩9点、パステル10点を発表した。その後はパステル、油絵の制作比率が高まり、やがて「黒」は姿を消します。ドムシー男爵(画家を支援したパトロン)は、作品の購入や城館のための装飾画を注文しました。晩年南仏フォンフロワド修道院に巨大な壁画を描きます。 オディロン・ルドン 《アポロンの戦車》 1906-1907年頃 油彩、画布 65 x 81cm 岐阜県美術館蔵 |
第三部 ルドンの周辺―象徴主義の画家たち ―作曲家ワーグナーの「総合芸術」、ゴーギャンらの理念の統合主義は文学運動と連動、象徴主義が生まれます― 1888年にゴーギャン、ベルナールが創始したクロワゾニスムは、はっきりとした輪郭線の内側に平面的に色を塗る表現が特徴、ナビ派に影響を与える。象徴派詩人ボードレール、ネルバァル、ヴェルレーヌ、ランボー、マラルメなどの詩は、画家ムンクたちの着想源になる。西洋的合理主義への幻滅から生じた非西洋への関心は、ゴーギャンのタヒチ(南国)への旅立ちとなる。 エミール・ベルナール 《ポンタヴェンの市場》 1888年 油彩、画布 65.2 x 91.0cm 岐阜県美術館蔵 |
画家 オディロン・ルドン (1840-1916) |
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略 年 譜 1840年( 0歳) ボルドーでベルトラン・ルドン(通称オディロン)生まれる。 1860年(20歳) ボルドーの画家スタニラス・ゴランの弟子として、初めてボルドー芸術友の会の展覧会に水彩の風景画2点を出品。以後同会への出品を続ける。 1865年(25歳) ボルドー芸術友の会でジェロームの弟子として木炭画1点出品。最初のエッチング群を制作。 1870年(30歳) 学生時代にパリで知り合った友人の建築家にアラスの礼拝堂装飾を依頼され、そのための素描を制作。普仏戦争に動員され、12月、モネーの戦闘に加わる。。 1880年(40歳) カミーユ・ファルトと結婚、ブルターニュへ新婚旅行。初期のパステル群。 1894年(54歳) ヴォラール画廊がルドンの作品を展示。ブリュッセルで第1回自由美学展に参加する。デュラン=リュエル画廊で初めての大規模な個展。ルドンの宴に、ゴーギャン、ポール・ランソン、セリュジエらが参加。ハーグで個展を開催(エドモン・ピカールが会場でルドンについて講演をする)。 1900年(60歳) 後に収集家となる画家で美術愛好家のギュスターヴ・ファイエを知る。パリ万博のフランス美術百年展に出品。この頃、ドムシー男爵とイタリアを旅行する。 1904年(64歳) フランス国家が油彩画《眼をとじて》(1890年)を1000フランで買い上げる。リュクサンブール美術館に収蔵される。サロン・ドートンヌでルドンに1室が捧げられ、64点が展示、大きな成功を収める。 1910年(70歳) パリでフォンフロワド僧院図書室のためのパネルを制作、僧院に赴き図書室の装飾を制作する。ロンドンのグラフトン画廊でマネと後期印象派展に参加。 1916年(76歳) ジョルジュ・ベルネーム画廊(パリ)慈善競売展に参加。パリの自宅で没。ピエーヴルに埋葬される。 |
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…パステルを使うことで、私は、自分の夢想により大きな造形性を与えることができるんじゃないかという希望を再び抱くようになりました。色彩には、私を柔らげてくれる或る喜びが含まれています。… |
お問合せ:03-5777-8600 (ハローダイヤル) 展覧会サイト:http://mimt.jp/redon2012/ 美術館サイト:http://mimt.jp 主催:三菱一号館美術館、東京新聞、TBS 企画協力:岐阜県美術館 協力:J-WAVE |
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